~幾野の道の遠ければ~ 月海が日々堕落してゆく日記
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2007-11-30 Fri 00:24
D.C.II~ダ・カーポII~ 第8話「白日の時」
daka^po1130
 ロボット大国ここに極まり。キリスト教圏の国では人型ロボットの存在を気味悪がる傾向があるみたいですが、そんなことはなんのその。
 ヨーロッパでロボットが見物とされていた頃、日本ではからくりとして既に人間とともに仕事をするものだと考えられていた。まさに遺伝子レベルで日本人はロボットに親しみを感じている。
 欧米人はロボットと言うと、冷たい、怖い、人を襲う、人間の仕事を奪うと言ったネガティブなイメージが付き纏うと言う。日本ではどうだろうか。マルチ、ちぃ、まほろさん、マリア・・・・・・日本人にとってロボット=親しい存在なのだ。
 美夏を見てどう思うだろうか?人として描かれ、笑い、泣き、人と暮らし共存している。ネガティブに感じるわけがない。
 このようなロボットと人との共存が、アトムからドラえもんまで、数十年にわたって日本人が、子どもの時から肌で感じている。そうしたことの積み重ねが、日本人がロボットに偏見どころか親しみを覚える大人になっていくのだ。

D.C.II~ダ・カーポII~ 第9話「恋模様大和路」
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 そしてキリスト教圏の意見を代表するのが委員長です。日本人特有の見識を持つ主人公一行は、何だそれ、と思っているんですが、委員長の反応は、外国ではむしろ普通だったりするのです。
 キリスト教圏(委員長)のロボット観は、ロボットは人間に危害を与えるものであると言う考えが先にたっている。なんせターミネーターとかフランケンシュタインを生み出した文化圏ですし、先日も無人兵器がイラクへ投入されましたね。そういうものを子どもの時から見ていたら、ドラえもんに触れていた日本人とロボットの捉え方が180°違うのはうなづける。
 そしてもう一つは宗教がある。日本人はロボットと言うと人型を連想し、ロボットに人の名前を付けたがる。しかし、キリスト教圏からすると、人を作るのは神である。だから、人型のロボットを作ることは神の領域を侵すことになってしまう。
 委員長がそこまで考えているのかはわからないけれど、日本人はロボットにできることはロボットにさせて人間は他の事をすればいいと感じるわけでして、旅館の女将がロボットでも何も感じないわけですが、委員長はキリスト教圏風に言えば、人間の仕事をロボットが奪っていると感じ、不快感を示している。
 主人公たちと同じ世代なのに何故、と思うかもしれませんが、現にIT世代の欧州の若者ですら、アシモを見たら人間そっくりで怖いと言うくらいですから、育った環境次第ではそんなものなんでしょう。
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