~幾野の道の遠ければ~ 月海が日々堕落してゆく日記
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絶滅危惧種
2009-02-19 Thu 00:59
ナデシコという花は、古来から『万葉集』や『枕草子』に登場し、和歌にも度々詠まれるなど、日本人にとってはDNAレベルで親しみを覚える花の一つではないかと思います。

ナデシコはその言葉から、女性や子どもの比喩に使われてきましたが、「大和撫子」に象徴されるように、ナデシコが指す女性が、セレブを典型とする、叶姉妹のような女性とは一線を画すことは間違いありません。

もちろん、叶姉妹ではなくても、茶髪でミニスカの女子高生よりも、黒髪で着物姿の女性というイメージなのは確かですよね。私が大和撫子と聞いて真っ先に思い浮かぶのが日本人ではないのが真に残念なのですが……。

かつて、日本における女性的な魅力というのは、欧米のような外見や身体のセクシーさではなく、おしとやかで凛とする精神面でした。「大和撫子」は、肉体美を前面に押し出すかわりに、純真で、気配りを忘れず、思いやりもあって、着飾らない、女性としての魅力を持っていたのでした。

しかし、この「大和撫子」が指す女性像は、現代における「女らしさ」とは相容れないものとなってしまいました。男女平等社会では「強い女」が「女らしさ」であり、かつての女性らしさは「古い」「前近代的」とされてしまったのでした。

もちろん、国際化する現代社会で、すべての女性が大和撫子を目指すべきだとは思いませんけれど、古来から伝わる日本的女性の美徳には、現在女性が学ぶべき要素が無数に存在するのではないかと思ってしまうのです。

現代女性が男性と同等、又はそれ以上の権威や経済力を手に入れたことは、プラス面も大きかったのですが、かつての女性が持っていた感性の美しさが失われたマイナス面も存在してはいないでしょうか。

「これは差別ではない、区別だ」と、某反逆なアニメで言っていましたけれど、本来、男性には体力や行動力などの「男性らしさ」、女性には感性や献身などの「女性らしさ」が存在しているはずでした。それが、現代社会になって女性にも本来の男性らしさを持つことが良しとされています。

最近、「婚活」がはやり、負け犬を通り越して「アラフォー」という言葉まで生まれています。女性は経済力を手に入れ、権力も手に入れ、男性化することには成功しましたが、代償として古来からの「女性らしさ」を失いました。その女性は、果たして男性から結婚したいと思われるのでしょうか。

男性は女性らしさを持つ、「大和撫子」の精神性に魅力を感じるのです。権力や経済力のような男性らしさに惹かれるのではないのです。SEXをするだけならば、男性化した女性でも構わないでしょう。しかし、「婚活」をする女性たちは、なぜ自分が「最後の相手」に選ばれなかったのか、考えたことがあるのでしょうか。

男性は自分にはない女性らしさ・精神性に魅力を感じます。しかし、現実には精神性を失った、見掛けだけの女性だけだとしたら。

二次元に逃避する男性も、もちろんキャラが可愛いというのもありますが、一番大きいのは、やはり現実社会で失われた精神性を求めているからではないでしょうか。アニメやゲームのキャラは可愛いですが、それだけで「俺の嫁」とか言う人は(多分)いません。

そのキャラの性格、純真、初心、ナイーブ、素朴、天真爛漫、無邪気、あどけない、初々しい、着飾らない、世間擦れのない……とまあ言葉にすればたくさんありますが、そういう精神性を求めているのです。

結局、時代が変わっても男性の求める理想像は大和撫子のような性格や精神性を持つ女性であり、そのような人になら自分が死んだ後でも財産を任せていいと思うし、君のためなら死ねるとも男なら思ってしまうわけです。

『きけ わだつみのこえ』では愛する人のためなら死ねるという所感が多くありますが、「婚活」をする女性たちは、なぜ自分が男性にここまで想って貰えないのか、わかるのでしょうか。

立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花

もはや死語になりつつありますね。
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