~幾野の道の遠ければ~ 月海が日々堕落してゆく日記
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イタリアの憂鬱
2010-05-17 Mon 04:48
GW中にやっていたディプロマシーという人間不信になる外交ゲーの話。

舞台は第一次世界大戦前夜、一触即発のヨーロッパ。
プレイヤーはイギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オーストリア、ロシア、トルコの最高責任者兼外交官となり、戦争を生き抜いていきます。
このゲームの軍隊は国に関係なく同じ能力で、1対1では引き分け、数が多い方が勝つというシンプルなものです。
そして、初期戦力は各国とも同じ。つまり、外交をして味方を作り、最低でも2対1の状況を作り出し、自分が攻められないようにあらゆる努力が必要になるのです。
勝つためにはあらゆる手段が認められます。戦争中から戦後の敵国領土割譲案を話し合い、攻められないように自国の領土を譲り渡し、自国のためなら不可侵すら破る。というか、ヨーロッパを制覇するには味方すら裏切らねばならないという非情なゲームだったりします。

私の担当は7ヶ国中でも最弱といわれるイタリアでした。
西はフランス、北はドイツ、地中海を挟んでオスマントルコ帝国という強国が隣国であり、東のオーストリアもイタリアの重要都市であるヴェネツィアの隣に海軍を有している極めて危険な国でした。
イタリア単独ではどこ相手でも負けるため、当面は無害なスライム戦略を立てます。

初年度、ドイツから不可侵条約を結びたいという書簡が届きます。
ドイツから見ればベルギーやオランダ、デンマークらを攻めるために軍を北方へ移す必要があり、南のイタリアとは不可侵を結びたいという魂胆でした。もちろん、イタリアとしても断る理由はありません。
同時期、オーストリアとフランスからも不可侵を結びたいとの申し出が入ります。
フランスはスペインやポルトガル攻めのため軍を西へ移す必要があり、オーストリアもロシア対策として軍を移す必要があり、イタリアとの不可侵を望んでいました。

全ての不可侵を結びつつ、私はドイツ、オーストリア、イタリア3国の同盟を模索し始めます。
地政学的にドイツとオーストリアは間違いなく同盟を結ぶと考え、これにイタリアも混ぜて貰おうと思いました。
対フランスならばドイツと連携、対トルコならばオーストリアと連携が可能なためです。
しかし、三国同盟は不発に終わります。何故かドイツがオーストリアとの同盟に乗り気ではなく、オーストリアもヴェネツィアからのイタリア軍撤退を要求し、イタリアとしては呑めなかったのです。
そのため、フランス、ロシアへ接近し、トルコとも不可侵を結びました。
すると、ロシア、トルコ2国から「オーストリアを攻めるけどイタリアも乗らない?」という誘いが来ます。
イタリアの方針は決定しました。

同年秋、問題が発生します。
オーストリアが突如無政府状態(ゲーム放棄)となったのです。
3国によるオーストリア攻めはうやむやとなり、伊墺国境に軍を配置されているイタリアとは違い、ロシア、トルコによるオーストリア領併合が始まります。
序盤のトルコの強大化はイタリアの死を意味します。私はオーストリア国境の軍を南下させ、トルコ牽制のために軍を派遣することを決め、フランスとの同盟を締結させました。同時にロシアへトルコの脅威を説きます。

翌年、トルコがロシア領へ侵略を始めました。ロシアはトルコと共にオーストリア併合をするつもりで、見事に裏切られたのでした。
騙されたロシアはようやくイタリアに接近し、フランス、ロシア、イタリアの3国同盟が締結となったのです。
しかし、手馴れのトルコプレイヤーはそれを読んでいました。オーストリア領とロシア領の一部を併合し、一気に国力を倍増させたトルコは、余力を全て海軍建設に回し、対イタリアを鮮明にしたのでした。
更に、ロシア軍敗退を見越してかドイツが対露戦線布告を始めます。
ロシアと共にトルコと戦わねばならないイタリアにとって、苦しい展開になります。かと言ってドイツ国境に軍を回せるわけでもなく、文句の一つも言えない状況でした。ロシアはそんなイタリアを知らずフランス、イタリアに対独せよと叫ぶばかり。
実は、トルコは領土返還を条件にロシアと和睦をしていたのでした。

ここで、ドイツからフランス、ドイツ、イタリアの3国同盟締結打診が来たのでした。
イタリアとしてはロシアとの連携を保ちつつ、3国同盟に加入します。

欧州情勢は複雑怪奇
翌年、同盟を締結したばかりのフランスがドイツ領へ攻め込みました。
ドイツは対ロシアどころではなくなり、本国防衛を余儀なくされます。
世界の論調は一気にフランス脅威へ傾きました。ロシアからはロシア、トルコ、イタリア3国同盟の打診とドイツ保護、イタリアの対仏を要求してきます。先日ドイツに宣戦布告された国とは思えないアグレッシブさです。
イギリスからもイタリア・トルコの和解を仲介したいとの申し出とその後の対仏要請が入ります。

そんなホワイトナイトのようなことは、まず疑わなければなりません。
ロシアはドイツ保護と対フランスの大義名分の下、ドイツ領に合法的に進入をするつもりであったし、
イギリスはイタリアに対フランス、トルコに対ロシアをさせ、イギリスの隣国を弱体化させたかったのです。

私はトルコが対イタリアを鮮明にしている以上対フランスは出来ないと断固した態度を取り、トルコに海軍軍縮を要求。
トルコはイタリアの対フランスを見届けてからという堂々巡りが数年続き、ついに和解はなりませんでした。
対フランス包囲網はイタリアが加わらなかったことにより崩壊、イギリスはフランスへ接近をはじめ、表面上のロシア、トルコ、イタリア同盟も早々と限界が来ていました。
イタリアの再三の説得により、ロシアはようやく対トルコを決断、イタリア・ロシアによる対トルコが開始、
同時にイギリスと接近したフランスは軍を南下させ、不可侵を破り対イタリアを鮮明にしたのでした。

またもや苦境に立たされましたが、北アフリカの領土を放棄し、イタリア本国防衛に専念、遠征軍はそのままロシアと共にトルコを攻める計画を立てます。
数年かかるもののトルコ滅亡は可能と判断、イギリスからも対フランスのためイタリアと同盟を結びたいと良い返事をもらえたところで、各国の停戦により和平が成立したのでした。
結局領土数ではイギリス、フランスに並んで我がイタリアは同率一位でゲームを終えました。

初参戦ということで色々とミスが多かったように思えます。
最大の反省点は対トルコに専念し過ぎたせいでフランス国境への警備が疎かになり、フランスの対イタリアを招いてしまったことでしょう。対トルコは可能と見ていたものの、ロシアに裏切られたら一瞬で崩壊する戦線でした。

正義とか信頼とか友愛とかを大切にしていたら間違いなく負ける権謀術数のゲームなので、一般人には全くおすすめできませんが、交渉ごとが好きで裏切ったり裏切られたりすることに抵抗感の無い方は面白いと思います。
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